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記憶の備忘録

【洞窟の比喩】~プラトンの著書『国家』より


前回はギリシャの三大哲学者、プラトンについて書いたので、今回はプラトンの著書『国家』に出てくる洞窟の比喩について書いていきたいと思います。

 

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このプラトンの著書『国家』は日本語の本では上下巻の構成となっています。

 

国家 上 (岩波文庫)

国家 上 (岩波文庫)

 
国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

  • 作者:プラトン
  • 発売日: 1979/06/18
  • メディア: 文庫
 

 

このプラトンの『国家』という本にはどういった内容のことが書かれているのかわかりやすく書かれたものを引用をしたいと思います。

 

『国家』はプラトンの代表作で、全10巻で成り立っています。

副題には「正義について」としてあり、イデア論を軸に「正義」というテーマで国家論を展開しています。

 

『国家』は、師匠であるソクラテスがいろいろな人と問答を繰り返すという形で描き進められていきます。

 

おおまかな要約としては

  • 王は哲学者がならなければならない
  • 現在、すでに王であるものが哲学をする
  • 政治権力と哲学が一体にならなければならない

というものです。

 

哲学者になるためには「善のイデア」を認識することだとしています。

 

プラトンのイデア論がわかる!『国家』の要約、魂の三分説もわかる! | brave-answer.jp

 

『国家』はプラトンの師であるソクラテスが各地で様々な人々と対話をする様子を弟子のプラトンが記した対話譚のうちの一つです。その中で用いられる洞窟の比喩がとても有名な比喩なのですが、さすがに文字だけだとわかりづらい内容なので下にわかりやすい動画を貼りたいと思います。(字幕をつけてご覧ください。)

 


Plato’s Allegory of the Cave - Alex Gendler

 

というのが洞窟の比喩のお話です。これを見たうえでさらに理解しやすい文章を書いてらっしゃる方を見つけたので、そちらも下に引用したいと思います。

 

「洞窟の比喩」で常識からの転換を示す

『国家』の中に書かれる「洞窟の中の囚人たち」の比喩は、哲学史上もっとも有名な比喩とされています。プラトンは、学ぼうとしない人々を「洞窟の奥に繋がれて、影絵しか見ることができない囚人」とソクラテスに例えさせます。

囚人たちは、洞窟の後方の壁しか見ることができないように縛られています。囚人の背後には火が灯され、その後ろにある通路に彫像や人形が運ばれてゆきます。これらの物体の影は、囚人たちの見ている壁に投影され、囚人たちはその影を実在だと認識します。

縄を解かれた囚人は、振り向いて人形そのものや火を目にし、そのとき洞窟からの上昇が始まります。解放された囚人は、光の世界に連れ出され、見慣れない世界に圧倒されますが、徐々に太陽そのものを見分けることができるようになります。これが善のイデアそのものの知であるとするのです。

この比喩は「常識」からの転換を示し、また、真実を認識するには段階を追わなければならず、「現実の世界は影絵である」ということを理解するには長い訓練が必要であることを示しています。

biz.trans-suite.jp

 

洞窟の比喩は哲学史上とても有名な比喩といわれており

 

洞窟の中の囚人たち = 学ぼうとしない人 

 

という比喩となっています。
さすがは哲学の祖、ソクラテス。ガツンと来ます。

 
私はこれを自分なりに考えたときに感覚的に似てるなと思ったのが、住み慣れた環境から新しい環境に移った時の感覚

住み慣れた環境、つまり生まれ育った町(私の場合は小さな田舎町)が自分の中の世界のすべてであり、外に出るまでは本当にこの町の中の常識や価値観しか知らなかった。自分すべてだと思っていた世界(小さな田舎町)の外には、今まで見たこともなかった高層ビルや高度技術で作られていたインフラ、そして行き交う人々の渦などが存在していた。それを囚人の話でいうと「洞窟の外の世界」と例えることができる。

新しい土地になれるのには苦労することもたくさんある。土地勘を覚える必要がある。そして新しい環境で必要なことを覚えなければならない。たとえば、私は地元では電車を使ったことがなかったので、都会に出たら電車に乗る方法を覚えければいけなかった。新しい環境に身を移すと新しい環境に慣れるために不便さを感じながらも、時間をかけて慣れる必要がある。それは誰もが経験したことがあると思う。これが「囚人が太陽の光になれていく過程」と共通するものがある。

人によっては、その場所に慣れなくて、また元の町に戻る人もいる。私は元の町に戻る人を学ぼうとしない人とは思わないし、個人個人の必要性によっては外に出なくてもいい人すらいると思っている。が、本来外の世界を見るべき人々(国のリーダーになりうる人達、特に政を行う職についている人々)には必要なことだと思っている。外の世界を見ようともせずに小さな世界の中しか見ていないような人にはきっと国や大きな組織のリーダーは務まらないだろう。

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Photo by Jehyun Sung on Unsplash


洞窟の比喩は、ソクラテスが説いた「無知の知」にも繋がる。どんなにたくさんの経験や知識を得たとしても、やはりこの広い世界では知っていることよりも知らないことの方が多いので、すべて知ったようなふりをするのではなく、知らない世界の存在を認めて、そこから学ぶという姿勢が大事なのだということを教えられている気がします。


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たしかに慣れ親しんだ環境から飛び出すには勇気もエネルギーもいる。私がアメリカに来た時もすごく勇気が必要だったし、いざ日本を離れてアメリカに来たばかりの頃は、生活に慣れるまでに本当に苦労したし、3か月で円形脱毛症にもなった。

ある時はホームシックにかかって帰りたいとも思った。だけどこっちでの生活(太陽の光)に慣れるにつれていろんな方々や楽しい出来事にも出会う事が出来た。もちろんいいことばかりではないし辛いときも多いけど、それまで自分の地元(洞窟)では見れなかったものが沢山見れたし色々な体験ができてよかったと思います。

大きな勇気と引き換えに、今まで体験したことがないことを経験し、それらがもし自分の人生を大きく変えるきっかけになるかもしれない。そんなことを考えているとわくわくしてきませんか?


というわけで、今回はプラトンの対話譚『国家』より洞窟の比喩についてのお話でした。